ブラック加糖
―― 八房を封印して半年。 俺の生活にひとつだけ増えたモノがある ―― 午前中の授業がやっと一段落する昼休み。 川瀬立人は屋上にいた。 さすがに11月にもなると寒くなってくるせいか、周りには誰も居ない。 もともと、校舎も広い瀧田学園ではあまり屋上に上ってくる生徒は少ないので、あまり人との接触を望まない立人にしてみれば絶好のスポットだった。 ・・・・もっとも、最近は少し違っているのだけれど。 ―― ・・カンッ・・・・カンッ・・カンッ 厚い鉄の扉の向こうから聞こえた小さな足音に、立人はぴくっと反応した。 そして、屋上のフェンスに背を預けた格好は変えないまま、屋上のドアへと視線を移す。 (・・・・あと、10) 無意識にそう思ってしまって、立人は顔をしかめる。 しかも。 ―― カンッ・・カンッ (9・・8・・・) ―― カンッ・・カンッカン・・ (7・・6・・5・・・) ―― カンッカンッカンッカンカンッ・・・ (・・0) ガチャ!! 「川瀬くん!」 カウントの終わりとほぼ同時に、屋上に響いた声に立人は口元に苦笑を浮かべた。 足音が聞こえてからドアが開くまでカウントできるなんて、自分でもらしくなさ過ぎて笑ってしまう。 そんな立人の内心には気付くわけもなく、屋上に現れた声の主、桐沢結奈は立人の側まで早足で近づいてくると不思議そうに覗き込んできた。 「?どうかしたの?」 「・・・・別に。」 (お前を待ってた、なんて言えるわけねえだろ。) こっそり本音を隠して立人は、いつものように素っ気なく答える。 結奈は少しだけ気になる、という表情をしていたものの、すぐに表情を変えた。 「まあ、いっか。あ、川瀬くん、これ。」 「あ?」 ぽんっと手渡されたのは、暖かい缶コーヒー。 外の風に当たっていて、知らず知らずのうちに冷えていた手にダイレクトに暖かさが伝わって立人は手の中で缶を転がした。 まだ熱いと感じるぐらいの温度だということは、自動販売機のある所からここまで相当急いできたのだろう。 そう思うと、ほっと胸が温かくなる。 どこか灼け付くような熱を秘めたその温かさがなんなのか、さすがの立人ももうわかっている。 照れから来る居心地の悪さを誤魔化すように、立人は結奈から少し視線を外して、言った。 「もらっとく。・・・・サンキュ。」 「どういたしまして。」 他の人間が聞いたらあまりの素っ気なさに怒り出しそうな立人の言葉にも、結奈は冗談めかして胸を張る。 「お前は?」 「私はこれ。」 にっこり笑って結奈が取り出したのは、立人の手の中にある缶より一回り大きいミルクティーの缶。 結奈は立人の右隣のフェンスに寄りかかると、ミルクティーの缶のプルトップを開けた。 「ん〜、暖かい♪」 嬉しそうにそう言いながら両手で缶を包んで飲む結奈の姿を横目で見つめながら、立人はいつもながら不思議な気分になる。 あの事件の時から立人の生活に増えたモノ ―― 桐沢結奈という一人の女の子。 それ以外は何も変わらない、事件前の生活に戻ったはずなのに以前と今は全く違う。 一つだけ、増えたモノ・・・・一つで全てを変えてしまったモノ。 「川瀬くん、飲まないの?」 「あ、ああ。」 不意に結奈に覗き込まれて、立人は慌てて手の中で転がしていた缶を持ち上げた。 プルトップを開ける間も、横顔に結奈の視線を感じてどこか落ち着かない。 そんな様子を見抜いたように、結奈はミルクティーを飲みながら立人を見上げる。 「なんか今日はいつもに増して無口だね。」 「そうか?」 「そうだよ。バイト大変なの?」 「あ?別にそうでもねえ。」 「そう?ならいいんだけど。」 そう言って、ホッとした顔をする結奈に、立人の鼓動が一つ跳ねる。 (・・・・たく) ちょっと心配されたぐらいで、喜んでしまう自分の単純さに立人は結奈に見えないようにため息をついた。 そしてそれを誤魔化すようにコーヒーを一口飲む。 途端に口の中に広がったコーヒーは、甘くないはずなのに甘く感じてそのまま胸に落ちていくような錯覚を覚える。 「それにしても、もう11月なんだね。」 「ああ。」 「そろそろ屋上は寒くない?」 「・・・・なら、別の場所へ行けばいいだろ。」 零した言葉が妙に苦くて、内心舌打ちした。 こういう言い方しか出来ない自分を歯がゆく思う事が増えたのも、彼女に出逢ってからだ。 けれど、今までの人生でしっかり身に付いてしまった斜に構えた性格はそうそう変えられない。 それでも結奈はこういう時は決まって・・・・ 「嫌だよ。私がいたいのは屋上だもん。」 さらっと返されて、立人はほっとする。 生憎、そんな感情は表に出ないのが立人の性格で、出てくるのは 「ふん、物好きだな。」 なんて台詞ばかり。 でも、そんな言葉にも結奈は少し悪戯っぽく笑う。 「うん、まあ、否定はしないかな。」 「しねえのかよ。」 「その言葉は、これでもかってぐらい無愛想で人と馴れ合いたがらない人を好きになった時から否定できない。」 「っ!?」 「ん?どうしたの?川瀬くん。」 「べ、別にどうもしねえ!」 「ふーん?」 鋭いと常々言われる片目で睨み付けても、くすくすと笑い出しそうな結奈には何の効果もない。 結局、立人はため息一つで抵抗を止めて缶コーヒーを飲む事に専念している振りをする。 (こんなところも、変わった・・・・いや、変えられた、か。) 隣に在る、結奈という存在に。 立人は一瞬躊躇った後、結奈に向かって缶を持っていない方の手を出した。 「・・・・ほら」 「え?」 「寒いんだろ。」 「ええええっ!?」 目を丸くして、信じられないとばかりに叫ぶ結奈に、立人は憮然とする。 「いらねえなら・・・・」 「いる!いります!いるに決まってます!!」 引っ込めようとした手に慌てて結奈が自分の手を滑り込ませてくる。 (っ・・・・) 片手で簡単に包み込めてしまったその小さな手の柔らかさに、思い切り動揺してしまった。 思わずそっぽに視線をそらし、横目で結奈を伺えば、結奈は妙に嬉しそうな顔をしていて。 少し頬を赤くしてくすぐったそうに微笑んでいる顔を見てしまえば、こんなのも悪くないと思っている自分が居る。 ―― たったひとつ増えたモノ・・・・大切に想うたった一人の女の子。 不意に、目があった結奈がにっこりと笑って言った。 「川瀬くんがこうしてくれるなら、しばらくは屋上だって大丈夫かも。」 「・・・・まあな。」 笑いかえすでもなく答えて、立人はコーヒーを一口飲む。 いつの間にかぬるくなっていたコーヒーは、妙に甘く感じた ―― ―― 俺の生活にひとつだけ増えたモノがある そのひとつに変えられていく全てが、俺は、嫌いじゃない ―― 〜 終 〜 |